ゆ〜たんのコラム Vol.2

ゆ~たん  

<家族構成:デフファミリー 3人の子どもたちも難聴障がい、某ろう学校在籍>

前回のお話

ゆ~たんの幼児時代。この世に産まれてきた『全く聞こえない私』を受け入れ育ててくれた両親。
『いろいろなものをみて、いろいろな言葉を知ってほしい』
そんな両親の心の内には、『手話があってもいいんじゃないか?』ということだった

(ゆ〜たんのコラム Vol.1 より)

つづき

聴の両親は手話を使えたらいろいろとお話ができるんじゃないかなとひそかに思っていたそうだ。
当時は口話教育時代だったため、手話を教師に持ちかけてみたけれど、頑なに首をたてに振ってくれなかったようだ。(当時の背景そのものなので、ご理解お願いいたします)

結局、わたしは聾学校高等部卒業まで口話教育で育った。
そして成人し、健聴のいる社会に足を踏みいれた時、カルチャーショックをうけた。
ろう文化という特有な世界で生きてきた私と、聴者の生きる世界とはまた異なるものだった。
コミュニケーションの壁があったり、嫌がらせもあった。不安でいっぱいだった。

それでも乗り越えられたのは何故か?というと、同じ聾学校にいた仲間たちとの手話があったからだ。
当時、手話は禁止でもこっそり先輩たちの手話を見よう見まねで、先生に隠れて友達同士と手話によるコミュケーションしていた。
だから、手話のおかげで自分は何者だっていうこと…いわゆる『アイデンティティー』を持つことが出来、乗り越えることが出来た。

まあ、口話教育は個人的に否定しない。
メリットといったら….
読話や口話、発音、聞く力もコミュニティーの術として身につけられて、いずれは通用できる時もあるからだ。

でも、口話教育だけだと、アイデンティティーを持つことはできないと思う。
自分は何者だっていう『アイデンティティー』を持つには早ければ早いほど、ものの見方が変わってくるだろう。

手話は『心のコミュニケーション』みたいなもの。
相手に伝えたい、たとえ発音が上手でなくても…伝えたいことを手話で表現し、意思疎通ができるのが魅力の1つだと思う。

耳に情報が入らないのは不便。
これは決して不幸ではない。不便なだけだ。
『手話』はわたしの生活の一部になっている。

わたしは手話を使ってくださいと強制的にすすめているのではない。こどもの障がいをありのまま受け止めてほしいと願っている。

どんな時代においても手話はなくてはならない存在だと、母は言いたかったんだと思う。母の手話があってもいいんじゃないか?という想いをわたしは引き継いで、手話をつかいながら昭和風の子育てを奮闘中です。

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