ろう両親のこども

さざえ

中等度難聴(70db)の息子は、個人病院で出産したこともあり、病院の先生から「手を叩く音に反応しており、聞こえています」と言われ、ABRを受けていなく、電子レンジの音に反応するので聞こえると思い込み、地域の保育園に入園。家では両親がろう者なので手話で話しかけて育った。2歳の頃、保育園の先生から他のこどもより言葉が遅れているので発達支援センターに診てもらった方がよいかもと助言を頂いた。結果は発達に問題はないが、難聴であることが判明。最初に診てもらった大きな病院は「ABRの結果は80dbで難聴の疑いがあるのでまた3ヶ月後きてください」と。3ヶ月は親子にとって長い時間であり、言語発達は待てないので、ろう者の友人からの情報で評判がいい耳鼻科に早速行き、手帳をいただく為の手続きをした。その医師は「なるべく早くろう学校のひよこ組へ行くことをお勧めします」と言ってくださった。

 自分がろう者であり、仕事でろう教育に関わってきた経験から、ろう児は早くから手話や文字で丁寧にコミュニケーション取っていくと、2歳には色々わかることが増えて、コミュニケーションが豊かになっている例を知っていただけに、ショックは大きかった。保育園の様子を見てみると他の子たちが歌っている時、仲間に入れず、一人でおもちゃで遊んでいた。早速、ろう学校のひよこ組のグループに参加すると、内容がわかるからでしょうか、こどもたちと一緒に手話で歌い、楽しく参加しており、帰りには「保育園 終わり ここ いく」と3歳児になる前に言われ、なぜ早く気づいてあげられなかったのだろう、ひよこ組に早く通わせたかった。保育園のわからない時間が申し訳なく自分を悔やんだ。

 3ヶ月ほど、ひよこ組でお世話になったが、息子は一回一回通う度にろう学校へいく日を楽しみにするようになった。補聴器は2歳の終わりから活用し始めた。

 幼稚部一年から通学時間は電車だったこともあり、もっぱら手話トーク、小さなメモを使って見るもの、気づいたことはメモをして息子に伝えるように意識した。

 補聴器活用の効果で発音は自然に身についたが、書記日本語の助詞や濁音を時々、間違うことがあり、しゃべっているから書記日本語に問題ないと誤解されやすいがそこは注意が必要だ。幼稚部の間は最低1000語身につければ小学一年の教科書が読めるという助言から、補聴器だけに頼らず、日記を書いたり、しりとりゲーム、絵本読み聞かせをするなりして手話と同じくらい、書記日本語に触れる時間も大切にした。

 中等度難聴は一対一の場合、声で話すことができても、時々誤解もあり、所々わからなかった時、聞き返しにくい面もあり、集団の会話にはついていけないので、手話が必要であることを両親もこどもも早くから知って欲しいと思う。現在は100%わかる環境を求めて本人の希望でろう学校に通っている。

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